茅ヶ崎の海の近くにある静かな旅館での、四季折々を綴ってゆきます。
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川上音二郎・貞奴と茅ヶ崎

茅ヶ崎館の創業は明治32年。

前年に茅ヶ崎駅が開業し、東京とのアクセスもよくなった茅ヶ崎に、さまざまな人たちが別荘を設けるようになります。
茅ヶ崎駅開設よりも前に、いち早く茅ヶ崎の魅力に気付き、別荘「狐松庵」を設けたのが、歌舞伎俳優の九代目市川団十郎です。
茅ヶ崎には、団十郎を慕って、さまざまな人たちが集まるようになり、その中に、川上音二郎、貞奴夫妻もいました。

この二人は、日本の今日の演劇を語る上で、外せない人たちです。
彼らは、海外で積極的に公演を重ね、世界中の人たちを魅了しました。
また日本でも、明治36年に東京明治座でシェークスピアの「オセロ」を初演するなど、欧米で見聞してきた近代演劇を日本にも取り入れるべく、積極的に活動しました。
「オセロ」では、貞奴も舞台に立ち、女性が舞台に上がるなんて考えられなかった当時、日本で最初の女優となりました。

この記念すべき「オセロ」上演に際し、茅ヶ崎館が稽古場として使われたという記録が残っています。
また、「オセロ」の脚本を担当していた江見水陰が書いた小説「霙」は、「オセロ」上演をめぐる茅ヶ崎でのエピソードが題材となっており、その中に、当時の茅ヶ崎館をモデルにしたと思われる旅館や、砂丘と小松原が広がっていた当時の海岸付近の様子が描写されています。

音二郎・貞奴の住まい「萬松園」は、現在の茅ヶ崎市美術館がある場所にありました。
彼らは、茅ヶ崎に住まいでなく、劇場や演劇学校も作り、演劇活動の拠点としようとしたのです。

茅ヶ崎では今年、この夫妻にスポットを当てた、さまざまな催しが行われます。
詳細については、
こちらでお知らせしてまいります。

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明治時代。急激になだれ込んでくる西欧文化と、もともとの日本文化の折り合いをどうつけていくか。世界の中で、日本はどうあるべきか。
急速な時代の変化のなかで、多くの日本人たちが、格闘し、もがき、悩んだたことでしょう。
その舞台のひとつに、茅ヶ崎、そして茅ヶ崎館もあったということは、とても刺激的です。

音二郎、貞奴を手がかりに、このダイナミックな時代や人の動きに思いを馳せてみようと思います。

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