茅ヶ崎の海の近くにある静かな旅館での、四季折々を綴ってゆきます。
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茅ヶ崎館ものがたり2 アイデアマン・信次郎
初代・森信次郎が茅ヶ崎館を創業したのは明治32年。

 

前年の明治31年には茅ヶ崎駅が開設し、茅ヶ崎にも機関車が停まるようになりました。
また、まもなく東洋一の療養所・南湖院も開業。さらには海水浴がレジャーとして広まりつつあるなど、寒村だった茅ヶ崎も徐々に活気付きつつありました。


しかし、それでもなお、茅ヶ崎で宿を経営することは非常に難しく、商売の道のりは決して平坦ではありませんでした。

 

初代・信次郎は、まだ電話線も引かれていない漁村に、いかにして客足を向けさせるか、様々な知恵を絞りました。

 

たとえば初代は、開業や一周年記念の時には、狂言や落語を催すなど、様々な文化活動を行いました。

旅館を文化の発信拠点とし、地域に貢献していくという営業スタイルは、現在の茅ヶ崎館にも受け継がれています。

 

また、海の近くという地の利を活かし、海でのアクティビティにも精を出しました。

あるときは平島までいかだを繋げて渡しの橋を作りました。残念なことに土用波と台風によって流されてしまったそうですが…。

 

初代は、茅ヶ崎館だけでなく、茅ヶ崎という町を活性化させるためのアイデアも数多く出しました。

ある日、庭の植木を採取しに、町の北東にある堤の山を訪れた初代は、大岡越前守一族の墓を発見いたしました。

浄見寺の草むらに埋もれ、訪れる人もなく荒れ果てていた墓を見た初代は、当時の町長に「大岡祭」を提案します。

このとき初代が提案した祭は、今でも「大岡越前祭」として続いています。

また茅ヶ崎海水浴場での花火大会実現にも奔走し、現在の「サザンビーチ花火大会」の礎を築きました。

 

このように、持ち前の遊び心で様々なアイデアを出し、茅ヶ崎館だけでなく、町の発展にも尽力した初代でしたが、商売の道のりは、決して平坦ではありませんでした。

 

一番の試練は、大正1291日に起こった、関東大震災でした。

マグニチュード7.9の大地震の震源地は、相模湾沖の海底。

町の大多数の家が全半壊し、馬入川鉄橋も落ちました。

 

砂丘の木造建だった茅ヶ崎館も例に漏れず、最初の一撃で、風呂場を残し、全壊状態となりました。

初代は、再建資金の捻出のために、敷地の三分の一をドイツ人に売却し、再度旅館を建て直しました。また震災後、稼業を息子の信行に譲りました。

 

ちなみにこの地震によって、海岸から約一キロ沖の岩礁が隆起し、烏帽子岩が出現し、のちの茅ヶ崎の名所となりました。

また下町屋の田んぼからは、巨大な切り株が現れました。これが昔の馬入川の橋脚と判明し、後に国指定の「史跡名勝天然記念物」となったのです。


参考文献

石坂昌三『小津安二郎と茅ヶ崎館』(新潮社)

茅ヶ崎市企画部文化推進課『小津安二郎生誕100年記念誌―巨匠ふたたび―』

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