茅ヶ崎の海の近くにある静かな旅館での、四季折々を綴ってゆきます。
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茅ヶ崎館ものがたり1 創業者・森信次郎
茅ヶ崎館の創業は、今から百年以上前の、1899年(明治32年)624日に遡ります。

創業者・森信次郎は、愛知県稲沢市に生まれました。村の寺子屋で学んだのち、岩崎弥太郎の日本郵船に入社。御用船の機関長として過ごしました。

初代は、船で相模湾を通るたびに茅ヶ崎の松原を望遠鏡で眺め、引退後はあそこで暮らそうと、洋上で夢を膨らませていました。

 

引退後、洋上から眺めていた海岸を歩いていた初代は、海の近くで築10年の旅館を見つけました。ちょうど売りに出ていたその旅館を居ぬきで購入。海風で傷んだ建物を修復し、人材も揃え、明治32年、茅ヶ崎館として開業いたしました。

この頃町内で電話に加入していたのはわずか6軒。茅ヶ崎館の電話番号は三番でした。

(一番は郵便局、二番は南湖院でした。)

 

この頃の茅ヶ崎は、明治31年に茅ヶ崎駅が開設されたばかり。地名の「茅ヶ崎」の通り、駅の周りは茅の茂る湿地と芋畑でした。創業当初はまだ海水浴客も現在ほど多くなく、相模川河口の半漁半農の小さな寒村に過ぎませんでした。

 

古来、水練は、戦場での働きに役立つための武芸の一つであり、一般庶民には海水浴の習慣はありませんでした。

明治18年に、大磯に日本初の海水浴場が開かれてから、鵠沼・江ノ島・片瀬・逗子・葉山などでも相次いで海水浴場が開設されましたが、当時の主な利用客は、東京や横浜に住む裕福な人々のみで、庶民がレジャー目的で利用することはまれだったようです。

 

しかし明治20年代初頭から明治30年代初頭にかけ、湘南にある海岸各所に海水浴場開設と、それに伴う海水旅館創業が相次いでおり、茅ヶ崎でもその流れを受け、東京から来る海水浴客を対象に、海水旅館の開業が始まっていました。

当時の旅館業は、今でいうベンチャー企業とでも言えましょう。

 

開業時の主な客は、上記のような海水浴客のほか、明治32年に開院した、東洋一の結核療養所「南湖院」の見舞い客でした。

 

明治41年には、文豪・国木田独歩が南湖院に入院しました。

独歩が入院した際、田山花袋や真山青果など、様々な文人たちが、茅ヶ崎館に宿泊しながら独歩を見舞いました。

当時真山青果は、読売新聞に、「独歩氏の近状を報ずる書」を掲載しています。

明治416月に独歩が荼毘に付すと、茅ヶ崎館で法事の席が設けられました。

 

こうして独歩の結核療養〜死を巡って、小さな寒村に過ぎなかった「茅ヶ崎」の名は全国に知れ渡り、茅ヶ崎館もまた、南湖院のおかげで商売が軌道に乗りました。


参考文献

石坂昌三『小津安二郎と茅ヶ崎館』(新潮社)

茅ヶ崎市企画部文化推進課『小津安二郎生誕100年記念誌―巨匠ふたたび―』

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