茅ヶ崎の海の近くにある静かな旅館での、四季折々を綴ってゆきます。
<< October 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

<< 茅ヶ崎館ものがたり4 小津安二郎監督 | main | 室礼 桜月 >>
茅ヶ崎館ものがたり5 少年勝行と“理想の男性”小津安二郎監督
小津安二郎監督が当館に滞在されていたのは、後に四代目となる勝行の少年時代でした。

幼い頃に実の父親を亡くし、そして7歳から25歳までの多感な時期を小津監督と共に過ごした勝行にとって、監督はまさに「理想の男性像」そのものでした。

現在でも、「早春」のロケの際に撮影した監督とのツーショットを何より大事にしています。



小津監督の映画の中では、子どもたちが生き生きと動き回っているシーンが印象的ですが、小津監督は子どもの仕草や台詞を考える際、勝行ら兄弟の動きややりとりを参考にしていた、というエピソードもあります。

四代目は、現在の茅ヶ崎館の関係者の中で唯一、生前の小津監督を知る者です。
そんな四代目が、小津監督との思い出を綴った貴重な原稿がございますので、ここにご紹介いたします。

*****************

「小津安二郎先生の思い出」 森勝行

小津安二郎監督が、初めてお見えになったのは、昭和12年と、最近の調べで分かってきました。先生が、日中戦争に出征される頃、7歳だった私は「お土産は、何がいいかね」と聞かれて、「切手がいいです」とねだった記憶があります。一緒に風呂に入った時のことで、「ザーッ!」と湯が溢れ出る大きな背中でした。やがて、14年無事に戦地でのつとめを終えて帰還されました。茅ヶ崎館で昭和17年の『父ありき』当時の「二番」で、脚本家仲間であった柳井隆雄、池田忠雄の両氏と碁盤を囲んでいる写真が残っています。後の太平洋戦争では、陸軍報道映画班員としてシンガポールに滞在中、『風と共に去りぬ』等をご覧になったそうです。

戦後、茅ヶ崎館での執筆活動は、『長屋紳士録』『風の中の牝鶏』『晩春』『宗方姉妹』『麦秋』『お茶漬けの味』『東京物語』、昭和31年封切りの『早春』迄です。良きコンビの野田高梧氏と海岸への散歩が構想を練る間の日課でした。来客も多く、ご自分で酒の肴を料理して持て成すのがお得意でした。煮詰まったすき焼きにカレー粉を加えた「カレーすき焼き」の洗礼は、小津監督の親しい客人なら誰もが受ける最上級のサービスなのです。田中絹代、池部良、高峰秀子さんは、間違いなくお付き合いされられた?方々です。それらの痕跡は「二番」の天井に油染みとして残っています。

普段の先生は、優しくて子供がお好きでした。弟が生まれた際には、白いレースのケープを頂いたこともあります。或るときは、菅原通斉ご夫妻が大きな外車で、湘南道路(当館の裏木戸側)までお迎えに来られました。先生は「今日は中華だ!」とニコニコしてお出掛けになりました。昭和34年の『浮草』で、茅ヶ崎ロケーションの為に宿泊された記述が、日記にも見られます。

毎年、秋の芸術祭に出品されて、少しすると電話がかかり「お!勝ちゃんか、明日から頼むよ」と次回作の為に、茅ヶ崎へ帰ってこられた小津先生。いつも暖かく接して下さったことなどを思い出します。
(原文ママ)

<『小津安二郎生誕100年記念誌』(茅ヶ崎市企画部文化推進課)用の原稿より>
スポンサーサイト
COMMENT









Trackback URL
http://chigasakikan.jugem.jp/trackback/12
TRACKBACK