茅ヶ崎の海の近くにある静かな旅館での、四季折々を綴ってゆきます。
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茅ヶ崎館ものがたり4 小津安二郎監督

二代目・信行が亡くなったのは、後に四代目となる息子・勝行がまだ幼い頃でした。
信行の妻・つねは、信行亡き後、従兄弟の亘と再婚し、亘が茅ヶ崎館の三代目となりました。


その頃は夏になると、お馴染みの家族が、さながら別荘のように、毎年同じ部屋に滞在し、親戚が一度に集まったように、たいそう賑やかだったようです。

子どもたちは朝のうちに宿題を片付けると、旅館から目と鼻の先にある海岸に、誘い合って泳ぎに行っていたとか。

小津安二郎監督が初めて茅ヶ崎館を訪れたのもこの頃です。
小津監督が初めて当館にお見えになったのは、昭和12年、外地に出征する前のことでした。

終戦の翌年、監督は再び茅ヶ崎に“帰って”来られ、以後十年間、一年の半分以上を茅ヶ崎館で過ごし、数々の名作の脚本を生み出すのでした。

小津監督が当館で滞在していたのは、「二番」のお部屋です<写真>。
玄関を入って中庭の池のところで右に曲がり、突き当りをさらに左折、階段を上がった「中二階」の棟にあります。

東南に窓があり、庭を臨む海寄りの角部屋。
お手洗いもお風呂もなく、何の変哲もない八畳一間の質素なお部屋ですが、この部屋で、『父ありき』『長屋紳士録』『風の中の牝鶏』『晩春』『宗方姉妹』『麦秋』『お茶漬けの味』 『東京物語』『早春』等、数多くの名作が生み出されました。

年間の大半を過ごしていたため、宿の食事だけでは物足りなくなってしまった小津監督は、ついには調理用具一式を揃え、部屋で調理を始めます。

「小津コック長」の誕生です。

小津コック長の特製メニューとしては、煮詰まったすき焼きにカレー粉を加えた「カレーすき焼き」が有名です。
松阪牛で知られる松阪で育った小津監督にとって、すき焼きはお手のものだったのでしょう。
ねぎや糸こんにゃく、豆腐、牛肉が御節の重箱のように見事に仕分けられたすき焼きは、小津監督の映画のように、整然とした美しさであったとか。

今でも二番のお部屋の天井には、小津監督が料理をされていた痕跡が、天井の油染みとなってしっかりと残っております。

小津監督が当館を定宿とされていたのは、大船に松竹の撮影所があった時代。
この時期、茅ヶ崎館には、しょっちゅう松竹の脚本家や監督が泊り込み、時には陣中見舞いの役者も現れ、大変賑やかだったようです。

小津安二郎監督が当館に残してくださったエピソードは、あまりにたくさんありすぎるので、折に触れてご紹介していく予定です。

参考文献 石坂昌三『小津安二郎と茅ヶ崎館』(新潮社)

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