茅ヶ崎の海の近くにある静かな旅館での、四季折々を綴ってゆきます。
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千波屋 納涼会 詳細内容



こんにちは。
いよいよ茅ヶ崎館の初めての試みである夏祭りまで、一週間を切りました。
詳しいプログラムが決まりましたので、お知らせいたします。

このお祭りでは、「食」「芸」「遊」「美」を軸に、古き良き茅ヶ崎館ならではの雰囲気でお楽しみいただける、様々なコンテンツをご用意いたしました。

ご友人やご家族と、お誘いあわせの上、ぜひ遊びにいらしてくださいませ。

千波屋 納涼会(せんばや のうりょうえ)
日時 2011年8月6日(土) 14時〜21時ごろ
場所 茅ヶ崎館
木戸銭 500円(浴衣の方、小学生以下の方は無料)

<見世物>
【芸】千波屋 演芸舞台
地元ミュージシャンの演奏や子どもたちのお囃子など、賑やかな音でお祭りを演出します。
そして夜には、講談師の神田紫さんと、三味線の黒澤博幸さんをお迎えし、怪談噺も。
節電の夏、ひんやりと涼しくお過ごしいただければと思います。

村田食堂
子ども囃子
ライブ・ジャム<フラワーアート&ハワイアンミュージック>
     瀬尾亮一(花)、松本ノボル(スラッキーギター)
イチヤナギユウ
子ども囃子
夏の夜の怪談噺&津軽三味線
     怪談・牡丹灯籠より お札はがし
     神田紫(講談)、黒澤博幸(三味線)

<屋台・出店>
【食】千波屋 特選屋台(14:00〜20:30頃)
<茅ヶ崎館の味>
みやじ豚と野菜の焼き串
小津風カレーすき焼き丼
冷やしかき揚げそば
夏野菜の冷製おひたし
ほうじ茶のゼリー
ドリンク
かき氷

<茅ヶ崎館特選>
地元産・国産素材のお惣菜(そうざい屋ひなた)
無農薬の有機野菜(yum yum veggie)
プレミアムミルク・コーヒー牛乳・ラムネ(湘南ミルク&デザート)

【美】千波屋 逸品市(14時〜20時半頃)
苔玉風鈴ほか(ぼんさい手帖×mizum工房)
手づくり香(竹中まや)
花飾り(フローラせお)
器(バンティング香)
オリジナルデザインTシャツ(ASOBIGOKORO DESIGNS)
浴衣美人コーナー(武井あゆみ・フローラせお・佐藤亜紀)
<プロの手であなたを浴衣美人に!着付け・ヘアメイク・花飾りのセット 2500円>
夏ばて予防!リフレッシュ・ボディセラピー(CALM Bodytuning からだラボ)

【遊】子どもおまつり広場(14時〜18時頃)
ヨーヨー釣り
スーパーボールすくい
めんこ遊び&駄菓子コーナー
ポップコーン
わたあめ

日本最古のサーフボード

茅ヶ崎館の初代は、もともと長く日本郵船の船乗りとして、世界各地を航行していました。
そして50歳を過ぎてから、憧れの土地茅ヶ崎にて、当時はベンチャー企業だったとも言える、海浜旅館の経営に着手しました。

世界各地で様々な物事を見聞してきた初代は、柔軟な発想のアイデアマンでした。
旅館で狂言や落語を催したり、宿泊客向けに海のアクティビティを開発したりと、まだ電話線も引かれていないいない寒村に客足を向けるべく、様々な知恵を絞りました。

初代のあとに旅館を継いだ二代目は、町で一番最初に自家用車やオートバイを乗り回したり、まだラジオが市販されていなかった頃にラジオを自分で組み立てたりと、かなりのアイデアマンかつモダンボーイでした。

そんな、嗅覚が鋭く先進的だった初代と二代目が、海のまち茅ヶ崎にとっても、日本のサーフィン史上にとっても、重要な財産となるであろう、あるものを残してくれました。

それが木製のサーフボードです。

この、1920年代のハワイ製コアボードは、当時ハワイで流行し始めていたサーフィンのことを知った二代目が、茅ヶ崎でもやってみようと、ハワイから輸入したのです。
これほど古いサーフボードは、今となってはほとんど残っていないらしく、「日本最古のサーフボード」として、現在も茅ヶ崎館にて保管されています。

余談ですが、このサーフボードは、しばらく庭のベンチとなっていたそうです。
偶然いらした、サーフィンに詳しいお客様がそのベンチをご覧になり、「これはかなり古いサーフボードでは…」と気づいて下さったとか。

そんな日本最古のサーフボードが、なんと7月5日放映の「なんでも鑑定団」に登場いたします。
五代目が番組に登場し、また茅ヶ崎館についても番組内で紹介される予定です。
よろしければご覧ください。

放映予定
「開運!なんでも鑑定団」
7月5日20時54分〜
TV東京系列 

千波屋 納涼会

明治時代、茅ヶ崎館を舞台に書かれた小説があります。
その小説のタイトルは、「霙(みぞれ)」。

川上音二郎・貞奴一座が舞台「オセロ」を日本初演した際の脚本家・江見水蔭によって書かれました。

この小説は、川上一座が「オセロ」を日本で初めて公演した際のエピソードが元となっています。
登場人物や場所、ストーリーなど、一部フィクションが含まれているものの、実際の場所や出来事に沿って描写されていると考えられています。

この小説の中で、茅ヶ崎館は「千波屋(せんばや)」という旅館として登場します。
そしてこの小説で注目すべきなのが、「千波屋」すなわち明治末期の茅ヶ崎館付近の風景が数多く描写されているところです。

「一人あらんも寂しさに、縁側へ出て芝原を見渡し、何心なく庭草履穿きて、芝原のはずれの崖なす端まで進み出で、これより波濤のごとく高低幾畳の砂山を見渡し、そのまた先きに雲の簇がるごとき海を見出して・・・・・・」

この小説によると、当時旅館の広間からは海が見えたということです。
また、旅館の庭先の階段を下りると、山なりの砂丘が連なっていたそうです。
砂丘と砂丘の間に降りると、海も旅館も見えなくなるくらい深かったとの記述もあります。

現在は住宅地が国道となっているエリアもすべて砂山だったということで、当時は砂浜が相当広い範囲で続いていたと予想されます。

この小説は、茅ヶ崎館が出来た当初、茅ヶ崎が別荘地として発展しはじめた当初の、茅ヶ崎海岸周辺の様子を知るのに、大変いい資料となるので、ぜひとも多くの方にお目通しいただきたく願っております。
現在、
こちらのページで全文公開しておりますので、ご興味のある方は、ぜひご覧頂ければ幸いです。

なにはともあれ、私たちが惹かれたのは、「千波屋」という美しい名前です。
千の波の訪れる場所。
色々なイマジネーションが膨らんでいきそうなこの名前。

早速と言ってはなんですが、この夏に、「千波屋」を冠につけた夏祭りを開催することとなりました。
千の波の訪れのように、たくさんの皆様にご来場いただければ幸いです。



「千波屋 納涼会」(せんばや のうりょうえ)

日時 2011年8月6日(土) 14時〜21時
場所 茅ヶ崎館(茅ヶ崎市中海岸3-8-5)
木戸銭 500円
「食」「芸」「遊」「美」を軸に、茅ヶ崎館ならではの雰囲気の中で味わえる様々なプログラムをご用意しております。
どうぞお気軽にお運びいただき、夏の夕涼みをお楽しみ下さい。

室礼 花月

ぽっ、ぽっ、ぽっ と、館内のあちこちに花が咲いております。

 

 

 

大正時代

最近、「大正」という時代に惹かれています。

明治時代の急速な近代国家の建設や、西洋文化の移植がひと段落し、近代化への疑問が投げかけられた時代。
そして西洋文化や工業化とどう折り合いをつけていくか、さまざまな人たちがもがいた時代。
大正デモクラシーに象徴される、自由主義、民主主義の空気。

そんな時代背景の中で生み出されたものには、ハッとさせられるものが多いのです。

急速な近代化、均質化への警鐘。
それまであまり目をとめられることのなかった、名もなき職人の手仕事や、作り手と使い手との関係がしっかり見いだせるような日常の道具に美しさを見いだし、光を当てようとした、柳宗悦率いる民藝運動。

活版印刷技術の進歩とともに、印刷物が美術を載せるメディアとして重要な意味を持つようになったこの時代。美術家たちも、新しいモチーフやデザイン、配色にチャレンジし、この時代の印刷物には、美術家たちの情熱が生き生きと溢れ出ているように感じます。
それと同時に、西洋文化と、日本独自の美意識とがうまく折り合いをつけられているように見えてなりません。

今までは、ただ何となく好きなだけでしたが、改めて時代背景をかんがみてみると、この時代の人たちがチャレンジした様々な事柄のダイナミックな輝きに惹かれます。
と同時に、現代を生きる私たちにも、重要な何かを投げかけてくれるような気がします。

川上音二郎・貞奴と茅ヶ崎

茅ヶ崎館の創業は明治32年。

前年に茅ヶ崎駅が開業し、東京とのアクセスもよくなった茅ヶ崎に、さまざまな人たちが別荘を設けるようになります。
茅ヶ崎駅開設よりも前に、いち早く茅ヶ崎の魅力に気付き、別荘「狐松庵」を設けたのが、歌舞伎俳優の九代目市川団十郎です。
茅ヶ崎には、団十郎を慕って、さまざまな人たちが集まるようになり、その中に、川上音二郎、貞奴夫妻もいました。

この二人は、日本の今日の演劇を語る上で、外せない人たちです。
彼らは、海外で積極的に公演を重ね、世界中の人たちを魅了しました。
また日本でも、明治36年に東京明治座でシェークスピアの「オセロ」を初演するなど、欧米で見聞してきた近代演劇を日本にも取り入れるべく、積極的に活動しました。
「オセロ」では、貞奴も舞台に立ち、女性が舞台に上がるなんて考えられなかった当時、日本で最初の女優となりました。

この記念すべき「オセロ」上演に際し、茅ヶ崎館が稽古場として使われたという記録が残っています。
また、「オセロ」の脚本を担当していた江見水陰が書いた小説「霙」は、「オセロ」上演をめぐる茅ヶ崎でのエピソードが題材となっており、その中に、当時の茅ヶ崎館をモデルにしたと思われる旅館や、砂丘と小松原が広がっていた当時の海岸付近の様子が描写されています。

音二郎・貞奴の住まい「萬松園」は、現在の茅ヶ崎市美術館がある場所にありました。
彼らは、茅ヶ崎に住まいでなく、劇場や演劇学校も作り、演劇活動の拠点としようとしたのです。

茅ヶ崎では今年、この夫妻にスポットを当てた、さまざまな催しが行われます。
詳細については、
こちらでお知らせしてまいります。

******

明治時代。急激になだれ込んでくる西欧文化と、もともとの日本文化の折り合いをどうつけていくか。世界の中で、日本はどうあるべきか。
急速な時代の変化のなかで、多くの日本人たちが、格闘し、もがき、悩んだたことでしょう。
その舞台のひとつに、茅ヶ崎、そして茅ヶ崎館もあったということは、とても刺激的です。

音二郎、貞奴を手がかりに、このダイナミックな時代や人の動きに思いを馳せてみようと思います。

関東大震災の爪あと

明治32年創業の茅ヶ崎館は、大正12年に起こった関東大震災を経験しています。

地震が起こったのは、大正12年9月1日の、ちょうど正午頃。
お昼ごはん時で、火を使っていた場所も多くあり、それに強風があいまって、大規模な火災が起こったそうです。
茅ヶ崎のあちこちでは、地下水が噴水のごとく吹き上げ、建物のほとんどが全半壊。
馬入川の鉄橋も落ちてしまったのでした。

茅ヶ崎館は、幸い火災は免れたものの、建物はぺしゃんこに倒壊。
建物内には、避暑に訪れていたお客様がいらっしゃいましたが、梁の間にいたのが幸いし、奇跡的に怪我一つなく救出されたそうです。

そのとき唯一倒壊を免れたのが、お風呂場です。
茅ヶ崎館の大浴場には、今でも関東大震災のときに出来た亀裂が生々しく残っています。

当時館主だった初代・森信次郎は、敷地の一部を売って資金を作り、がれきとなった茅ヶ崎館から、現在も残る茅ヶ崎館の建物を再建したのでした。

震災の経験を踏まえて建てられた現在の建物は、免震の対策がとられていたため、今回の震災でもまったく壊れず、さらにはお皿一枚たりとも割れませんでした。

もし自分の建てた家がぺしゃんこになってしまったら・・・。
自分の営むお店や旅館がぺしゃんこになってしまったら・・・。
資金や、再建の手間などを考えると、さっさと別の場所に引越したり、あきらめて別の商売を始める人も少なくなさそうです。
そこで踏ん張って、同じ場所で一から建物の再建を決めた初代を心強く感じます。
その決断がなければ、茅ヶ崎館を舞台にした、さまざまな方々との出会いも生まれなかったのですから・・・。


写真:関東大震災時に出来た亀裂が生々しく残る大浴場

震災から一か月

おそろしい大地震から一か月ちょっと。

この地震により、命を落とされた皆様に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
そして、被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

毎日ニュースで被災地の映像を見るたびに、心が痛くてなりません。
でもそんな中で、家を失っても、家族を失っても、職を失っても、それでも前を向いて一歩を踏み出す多くの方々の姿に、元気づけられています。

避難所の段ボールのパーティションのはしっこにつけられた、小さな鯉のぼり。
避難所の小学生たちが、同じ避難所の方々を元気づけようと毎日手書きで発行している「ファイト新聞」。
水没した家から数日ぶりに救助されたところにカメラを向けられ、「家がなくなったら、また再建すればいいさ!」と笑顔でコメントしたおじいさん。

ショッキングな映像の中にも、キラキラ輝く美しい魂の粒をかいま見て、あらためて人間の底力を力強く感じます。

地震後に、しばしば思いを馳せるのが、小津監督です。
戦後の動乱のさなかに、美しい人間の有様、生の気高さを作品にし続けた小津監督。

日中戦争に従軍した小津監督は、戦時中に何を思っていたのでしょう。
戦争のさなかに生きる人間たちをどう捉えていたのでしょう。

このたびの震災を経て、日本に生きる私たちが、なにか大きな転換点や岐路に立っている、そんな気がしてなりません。
どこにどう向かっていくべきか、まだまだ暗中模索ですが、そんな中で、小津監督が作品を作る際に貫いた姿勢に思いを馳せると、なんとなく進むべき道しるべが見えてくるような気がします。

光と影



部屋の明かりを消したら浮かび上がる、光と影のゆらぎ

小津監督の命日

本日十二月十二日は小津安二郎監督の命日です。
そして小津監督が生まれた日でもあります。

小津監督は明治三十六年十二月十二日に生まれ、昭和三十八年十二月十二日、還暦の誕生日の日にお亡くなりになりました。

きっちりときりの良い、小津監督らしい去り際だな・・・と思ってしまいます。

小津監督が茅ヶ崎館で刻んだ足音や話し声、笑い声・・・色々なことに思いを馳せながら、一日を過ごしました。